この記事は後悔をテーマに執筆中の「四章:軽蔑の感情から学び克服する」からの引用です。
自己肯定感について
あなたは自己肯定感と聞いてあなたはどんなことを想像しますか?
「自己肯定感があったら自分に自信が持てそうだな」
「自己肯定感があったら、いろいろなことに挑戦できそうだ」
「どん底の人生が、自己肯定感を高めることで変わりそうだ」
「自己肯定感が高かったら、心が救われるのにな」
と思ったかもしれませんね。
ChatGPTによると、自己肯定感がある人の特徴は次のように言われています。
- 自分の能力、判断、意見に対する自信があり、人生を切り開くことができる
- 自分の時間、エネルギー、精神的な幸福を大切にしている
- 自分を厳しく批判するのではなく、優しさと理解を持って接する傾向がある
- 他人からの拒絶を恐れることなく、本当の自分を表現することができる
- 健全で充実した人間関係を築くことができる
- 目標達成や問題解決に積極的に取り組む傾向がある
- 自分の人生を自分でコントロールし、ポジティブな変化を起こそうとする意欲がある
素晴らしい人物像です。こんなふうに生きれたらどんなときも自力で人生を切り開くことができそうです。生存能力が高そうで頼り甲斐がありそうです。
しかし、「内閣府 平成26年版 子ども・若者白書(全体版)」で言われているように、私たち日本人の自己肯定感の基準は低いのが実情のようです。
日本の若者は諸外国と比べて,自己を肯定的に捉えている者の割合が低く,自分に誇りを持っている者の割合も低い。 日本の若者のうち,自分自身に満足している者の割合は5割弱,自分には長所があると思っている者の割合は7割弱で,いずれも諸外国と比べて日本が最も低い。年齢階級別にみると,特に10代後半から20代前半にかけて,諸外国との差が大きい。
https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26honpen/tokushu_02.html
自己肯定感は誤解しやすい概念です。額縁通りの言葉で受け取ってしまい、自分自身を肯定しようとします。自己流に自己肯定感を高めようとして失敗します。その結果、自ら幸福度を下げる認知を行います。
「自己肯定感がある人は尊敬できる素晴らしい人間性がある。なら私も自己肯定感を高めたいから、自分を肯定をしよう」
そう考えて、
「私は、賢い判断ができる人間だ」
「私は、正しい行動をする人間だ」
というように、自分が良いと思える自分の良さを認めて、自己肯定感を高めようとします。
しかし、自己肯定感という言葉の上辺を受け取り、自分の良いと思えるところを肯定しても、自己肯定感を高めることで感じられる、自信や安心感、自己信頼感は感じられないはずです。
多くの人が自己肯定感を誤認しています。
『自己肯定感とは自分の存在をあるがままに認める態度』のことです。
自己肯定しようとして自分に嘘をついているような気持ちになる原因
自分の良いところに注目し、そんな自分の良さが自分を良い人間にしていると思うと、どこか自分が薄っぺらく、取り繕ったような感じがするときがあります。純粋に自分のことをよいと思えない、後ろめたさを感じるときがあります。なぜでしょうか?
わたしたちは正直なものです。人は自分の良い部分に意識を向けると、自分の悪い部分を無視できません。「自分の中に良い部分があるのだから、それは当然自分の中には悪い部分もあるのだろう」人の意識の深い部分ではそう思うのです。これが、なぜかいい気分を感じれない、何か自分に嘘をついているような気持ちになる理由です。
人は深い部分で物事の両面性を知っています。陰と陽、長所と短所、善と悪、快と不快、表と裏、美と醜、真と偽、勝ちと負け、生と死、喜びと悲しみ、平和と戦争、成功と失敗、進化と退化、理解と誤解、知識と無知、静けさと騒音、安心と不安、信頼と疑惑、勇敢さと臆病さ、豊かさと貧困、公平と偏見、誠実さと不誠実さ、穏やかさと激情、追求と放棄など、あらゆる事物には表と裏の両面が存在することを知っています。
だからこそ、「自分には良いところがある。だから自分はいい人間だ」という「良い部分がある=私は良い人間」という条件付きの評価をすることで、評価をした自分自身の良さの裏側を無視した後ろめたさを感じるのです。
『自己肯定感とは自分の存在をあるがままに認める態度』のことです。「良い部分がある=私は良い人間」という条件付きの評価は《存在をあるがままに認め》てはいません。自分の良さを認める行為が自己肯定を阻害しています。コインの片面だけではコインは存在し得ないのです。
繰り返しますが、自己肯定感とは『自己肯定感とは自分の存在をあるがままに認める態度』のことです。自分の良さをイコールで結んで評価しても、良さの裏側を無視する行為は《存在をありのままに認め》ていません。
自己肯定感という言葉だけを聞いて、「自分を認めよう、自分を肯定しよう、自分の良さを見よう」そのように考えても、なぜかいい気分を感じれない、何か自分に嘘をついているような気持ちになる。その原因がここにあります。
自分の良いところだけを見て、自分は良いと思い込むのは自己否定につながります。それは、自分の悪いところを見ずに、自分の存在のありのままを認めていないからです。良いところだけを見て自分に都合の悪いところは見て見ぬ振りをする。悪いところもある自分を認めず否定する。
悪いところを見ないで、自分の悪いと思う部分を否定することで、自分を肯定しようとしている。このあべこべの思考がわかりますか?
自己肯定感とは自分の良さを認める感覚ではないことが判りつつありますか?
《自己肯定感とは自分自身の存在をありのままに認める態度》のことです。
自己肯定感とは、自分の良いところ探しをし、「これは自分の良いところだ、そんな私を私は肯定できる」と評価することではありません。これだと事実の半分の側面しか見ていません。自己肯定するためには、自分の良いところだけを見るだけでは不十分なのです。真の自己肯定感は、事実のもう半分の側面、自分が目を背けたくなるような悪い面も含めて、自分を丸ごと受け入れることから生まれます。
自己肯定のためには、自分の良い部分も悪い部分もすべてひっくるめて、自分を肯定する必要があります。自己肯定するためには、自分のよくない部分も肯定しなければいけない・・・。これはどういうことでしょうか?
褒めて認めることは自己肯定感を育てるために適切な行為ではない
人は自己肯定感を高めようとして、自分自身の良さを認めて、自分自身を肯定しようとします。良いことをしたら親から褒められる経験や学校で良い成績を取ると評価されることを生きることを通じて学んできたからです。
成功体験から学んだ褒めるという行為は、親や学校では効果的だったかもしれませんが、自己肯定感を育てることに関しては、欲求五段解説を提唱したアメリカの心理学者、アブラハム・マズローが「金槌を持てば全てが釘に見える」と言ったように、不適切な道具を使って解決を試みる行為です。木片を切りたければノコギリを使うのが適切でしょう。金槌で木片を切る行為はいびつな木片を作ります。
褒めて認めることは未成年の人には有効かもしれません。しかし、成人した大人は自分の良さも悪さも認識しています。わたしたちは正直なものです。人は自分の良い部分に意識を向けると、自分の悪い部分を無視できません。「自分の中に良い部分があるのだから、それは当然自分の中には悪い部分もあるのだろう」人の意識の深い部分ではそう思うのです。
自己肯定感を高めようとして自己否定をしてしまう間違った3つの認識
自己肯定感とは《自分自身の存在をありのままに認める態度である》と定義しましたが、次に紹介する3つの認知のどこが自己肯定感の認識とズレているかを探りながら読んでみてください。
1. 臭い物に蓋をする。
自己否定は、他人や社会が作り出した理想像と自分を比較することから始まることが多いです。たとえば、学校のテストの成績、他人との発達の程度、生まれ持った身体的な特徴、職業によって得られる給与やステータス、自分の本質と違う人への憧れ、社会との関わり・・・。
人は持てる他者と持たない自分を比較することに負い目を感じると劣等感を感じます。そして、劣等感の痛みを避けるために自己否定を行います。
臭い物に蓋をしたら、臭さを感じなくなります。臭いものから遠ざかれば匂いは感じません。物理現実ではこのようなことで対処可能ですが、人の内面は物理現実のような解決策では解決できないことの方が多いでしょう。
「臭いものには蓋をする」ことや「見て見ぬ振りをする」ことは一時的には気分を紛らわせ、気持ちの問題を解決できます。私たちは経験からこれらが使えることを学びます。しかし、この成功体験は、自己肯定感を高めることに関しては負の結果をもたらしています。
2. 30点の自分を否定する。
30点の自分を否定しても、100点の自分にはなりません。30点の自分を否定したら、0点の自分になりませんか?30点でも、あなたはあなたです。100点になる過程に30点はあります。いきなり80点を取れる素質のある方もいますが、30点を取ったからこそ見える景色や経験もあります。その経験を糧に前に進むことができたのなら、30点にも存在価値があったはずです。
どんな内面の気持ちにも利用価値があります。アメリカの精神科医ミルトン・エリクソンは、不眠で悩むクライアントに、クライアントの一番嫌いな床掃除を睡眠時間の全て充ててしてもらいました。クライアントは寝ないで床掃除を行いそのままの足で会社に出勤する生活を2日間行いました。3日目の夜になると不眠で悩む彼は自らの意思でベットに眠り込みました。
3.気持ちの外科手術
「自分の悪いと思う部分を無視したら、残る部分は自分の良い部分。だから自分は良い人間だ
「悪い部分を排除したら、残りの良い部分だけが残り、全部が良くなる」
そのような認識が人を苦しめます。自己否定したらすべてが解決するかのように人を誤解させます。いらない部分を無視したら残る部分は全部いいものが残ると思うからです。自分の中にある悪い部分を否定したら、残る部分は自分の良い部分という思い込みは無知な認識です。
自分を肯定するつもりで自分のこと否定してるからこそ、自己肯定感が低くなります。当たり前なことで、ダメなことろは評価しないと無視を決め込む。これでは自分の存在のありのままを認めているとは言えません。
自分を否定したらからといって自分は善くなりません。否定してもあなたの中に存在しています。
自己否定をやめる理性は優しさ
自己肯定感を高めようとして自己否定をしてしまう間違った3つの認識を見てきて、何か共通項を気付くことはありましたか?
これらに共通しているのは全て自己否定です。
《自己肯定感とは自分自身の存在をありのままに認める態度》のことであるのにもかかわらず、無知な認識の仕方が自己否定に繋がる認識の仕方を紹介しました。
あなたはもう知ったはずです。自己否定は自己肯定感を育てないことを。だからこそ、あなたはこれから自己否定をしている自分に気づけるようになるはずです。
もしも、自己否定をしている自分に気づけたのなら、それは自己肯定感を育てることに寄与しない行為だと認識できるはずです。それはあなたの理性的な行為であり、理性的な優しさです。それは、人生を生きる知恵です
悪い部分も良い部分も合わせてあなたなんです。あなたの悪い部分も含めてあなたです。どんな自分もあなたなんです。その状態を受け入れてください。それは自分を否定しない、精神的な態度です。これこそが、自己肯定感が意味するところの《自分の存在をあるがままに認める》態度です。
絵の具のバリエーション
自分の悪いと思えるところは長所の裏返しです。自己理解メソッドの八木仁平さんは、才能とはついやってしまうことであり、環境によって才能は長所にも短所にもなると教えます。
たとえば、「言葉にこだわりすぎる」のは「言葉の間違いを指摘する才能の現れ」であり、「質の高い表現」ができることの裏返しです。
「相手を気遣いすぎて自分に意識を向けれない」のは「相手をもてなす才能の現れ」であり、「相手がリラックスできるように取り測れる」ことの裏返しです。
「人と同じになるのを避ける」のは「自分の個性を表現する才能の現れ」であり、「人との差別化を図る」ことの裏返しです。
「勝手に推測をして決めつける」のは「相手がどのように考えているかを推測する才能の現れ」であり、「相手の感情や思いを察する」ことの裏返しです。
「自己開示までに慎重に時間をかける」のは「自分の話より相手の話を優先して聞く才能の現れ」であり、「相手の話を優先して引き出す」ことの裏返しです。
このような例は1000に及びます。詳しくは書籍『「才能」の見つけ方 KADOKAWA 八木仁平』の巻末特典をお読みください。
悪いと思えるところもあなたです。あなたの存在の豊かさの現れです。
たとえば、色とりどりの絵の具が並んだパレットを想像してください。そして、その中に一つだけ嫌いな色があるとします。その嫌いな色を見えて、このパレットは嫌いだと思うことは面白おかしいはずです。とても綺麗なパレットの一部分だけに注目してパレット全体を嫌うのは、パレットの全体性や色とりどりな豊かさをを否定することになります。
自分の悪いなと思うところは環境や使い方によって短所のように写っているにすぎず、短所や悪いところを否定することは、自分自身の才能の否定につながります。
優しさって強いんですよ
どんな自分も自分なんだ。いいところ、悪いところ、全部ひっくるめて自分で在って、一つでも自分でないことはない。悪い面も自分なんだと受け入れていく。自分という存在の全てを認める。この自己肯定感のもつ『暖かさや安心感、落ち着く実感』が感じられますか。この実感を感じている心理的態度が自己肯定感です。自分の中にあるイヤだな、モヤモヤするな、気持ち悪いなって思うことでも、そういうイヤなところもある自分も好きだな、かわいいな、かっこいいな、◎だよ。いいよ。そんな感じて認めて、判断やジャッジや支配を放棄する。ただそんなイヤなところもあるけどOKだよってする。
この感覚はあなたの身に染み込みます。やがて感覚は態度としてあなたの精神に宿ることでしょう。この文章を読んだときに実感できた感覚がありましたか?
自己肯定感という言葉が指している自信や安心感、自己信頼感を感じ取れましたか?
後悔という感情もあなたの感じた気持ちの一部だからこそ、、、
後悔という感情もあなたの感じた気持ちの一部です。後悔の念は、人間が経験する自然なことです。この感情を拒否することは、自分を拒絶するのと同じ痛みを伴います。あなたの一部だからこそ、その気持ちを拒否したり拒絶することは、あなた自身を拒絶するのと同じなんです。だから辛く苦しいんです。だからこそ、その気持ちを受け入れる必要があるんです。あなた自身を自らの手によって否定しないためにです。あなたはあなた自身の意志によってあなたを受け入れてあげてください。だって、その気持ちを感じたのはあなたなのですから、あなたの今までの経験や価値観、連想がそう感じさせたんです。その気持ちを否定することはあなたの今までを否定することになり、あなたのいままでをなかったことにする行為です。
自分の不完全さを認めることは、自分の価値を下げる行為でなくて、むしろ、ありのままの自分を認める人間性の強さを肯定する行為です。
それはあなた自身を愛し、自分には価値があると思えるきっかけになることでしょう。自分自身を大切に扱うこと、ダメな自分も認めること、自分を裁判にかけないこと、自分の感情を丁寧に扱うこと、心穏やかな時間を過ごすこと、自分の小さな成長を認めて褒めること、失敗しても自分の全てを優しく受け入れること、失敗をしてもいいんだ、誰もが間違いを犯すことがある、完璧にこなさなくてもいいんだ、そんな全部をひっくるめて全部が全部自分なんだと、自分の存在を大切に扱う気持ちが、自己肯定感の感覚を育てます。
このような自分のダメだと思うところを受け入れる態度は勇気ある人です。弱さを受け入れることができるのは強いからです。弱さを認めたからと言ってその人が弱いと思うことは曲解です。弱いこととは何もその人の存在を否定しません。
自分の不完全さを認めることは、自分を低く評価する行為ではありません。むしろ、ありのままの自分を受け入れるという、人間の強さを肯定するものなのです。自分の不完全さを認めることは、自分の価値を下げる行為でなくて、むしろ、ありのままの自分を認める人間性の強さのあらわれです。
もしあなたが、自己肯定感についてのお悩みがあるのなら、わたしと話しをしませんか?
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